夏目漱石の「こころ」と何十年にもわたり累計部数を争っている太宰治の「人間失格」
読んだことはなくてもタイトルだけは聞いたことがあるという方も多いと思います。
私も先日初めて「人間失格」を読みました。
あらすじや専門的な解釈は書籍や他の方のブログにたくさんありますので、この記事では私が読んで感じたことを紹介します。
この記事を読んで気になった方はぜひ一度「人間失格」を読んでみて下さい。
人間失格とは
主人公となる大庭葉蔵の三冊の手記と作者の「はしがき」「あとがき」で構成されている。
この物語の主人公葉蔵は太宰自身がモデルにして創られた人物である。
第一の手記では葉蔵の少年時代、第二の手記では中学生〜心中未遂事件、第三の手記では27歳までのことが描かれている。
「恥の多い生涯を送って来ました。」
第一の手記の冒頭からこの印象に残るフレーズから物語が始まります。
印象に残ったフレーズとその解釈
人間失格を読んで私の印象に残ったフレーズを紹介します。
- ・ただ、一さいは過ぎて行きます
- ・金の切れ目が縁の切れ目
- ・世間とは個人
各フレーズの私の解釈を紹介していきます。
教科書的な解釈とは異なると思いますので、一個人の感想と捉えていただければと思います。
ただ、一さいは過ぎて行きます
これが私の中で一番印象に残っています。
第三の手記の一番最後に出てくるフレーズです。
廃人となった葉蔵が田舎で療養中にたどり着いた人間の世界におけるたった一つの真理と思われたものとして描かれています。
阿鼻叫喚で生きてきた最後は廃人となり、自分が幸福なのか不幸なのかも分からなくなってしまった。
そんな状態になっても時間だけは過ぎて行く。
幸福でも時間は過ぎて行く、不幸でも時間は過ぎて行く。
何もしなくても時間は過ぎて行く。
人間、失格になっても人間である以上は時間は平等だということを伝えたいのかなと感じました。
飛躍しすぎかもしれませんが、行動してもしなくても時間だけは過ぎて行く。
だから後悔しないように行動をしようと私は解釈しました。
金の切れ目が縁の切れ目
のちに心中未遂を起こす女性に葉蔵が放った出鱈目ですが、私もこれには妙に納得してしまいました。
金銭で成り立っている関係は、金がなくなれば終わるということ
これについて葉蔵は、男に金がなくなると女に振られると逆の意味だと言いました。
「男に金がなくなると、ただおのずから意気消沈して、ダメになり、笑う声にも力がなく、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男の方から女を振る、半狂乱になって振って振って振りぬくという意味」
男はお金を持っていることがステータスであり、そのまま自信に繋がっているということでしょう。
男の見栄やプライドをよく表していると思います。
世間とは個人
「世間が許さない」これを言われた葉蔵は世間とはなんのことかと考えました。
世間とは複数人のことか?世間とは実態があるものか?
そしてたどりついた答えは「世間が許さない」と言った人が世間だ。
世間という言葉はあなたに置き換えることが可能です。
つまり世間とは個人なのです。
他人を攻撃したり避難したりする際に、直接自分で言いにくい時は自分を世間に置き換えて使うと都合が良いと解釈しました。
無責任に個人へ攻撃や避難するときに使えます。
世間という言葉をよく使う人は自分に自信がないか無責任な人と考えることも出来ます。
まとめ
日本の文学作品でも特にメジャーな人間失格を読みましたが、これは読む年代や読む回数によって感想が変わるような印象を持ちました。
私が高校生の頃に読んでいても内容を理解するには難しかったと思います。
社会人になって時間の尊さを知ったからこそ最後の真理について考えることができたような気がします。
金の切れ目は縁の切れ目も自分でお金を稼げるようになったからこそ自分の心に引っかかるフレーズになったと思います。
読者側の視点や経験によっても抱く感想が変わると思います。
一冊のボリュームはないので、気軽に文学作品に触れてみたい方にはおすすめです。